OGINO VINEYARDの畑に根づく、“果実以上”の価値とは

「果実を育てることは、未来を耕すこと。」

山梨県甲州市の斜面に広がるOGINO VINEYARDでは、シャインマスカットを中心とした栽培が、静かに、しかし力強く営まれています。
見渡すかぎりのぶどう棚、その一房ひとふさが、土地の記憶と人の想いを宿すように輝いている――。

今回のテーマは「栽培哲学」。マスカットづくりを通じて“挑戦し続ける生産者”たちが持つ視点や信念を紐解きながら、農業と地域のこれからを考えます。

“育てる”とは、“見つめ続ける”こと
果樹栽培は、畑に苗を植えたその瞬間から、「待つこと」「観察すること」「信じること」の連続です。
1年目には苗木が根を張り、2年目に枝が伸び、3年目にようやく一房のマスカットが実る。収益化にはさらに数年がかかることも珍しくありません。

OGINO VINEYARDの荻野幸之助さんは言います。

「マスカットは、教科書通りにいかない作物。だからこそ“どう生きているか”を観察する力が問われます。土、水、気温、風……それぞれが果実の表情を決めていく。結局、人間はその“変化の声”にどれだけ耳を傾けられるか、なんですよね」

マスカットづくりとは、自然とともに歩く哲学そのもの。
それは科学的な管理だけでは語りきれない、“心の置きどころ”が試される営みです。

正解のない世界で、挑戦し続ける理由
農業の世界には、決まった正解がありません。
気候は毎年異なり、土壌のバランスも移ろい、栽培の「常識」すら数年単位で変化します。
たとえば、以前は袋がけが常識だったマスカット栽培においても、OGINO VINEYARDでは露地栽培の可能性を探求し続けています。

「雨の多い年は裂果が怖い。でも、太陽の光を存分に浴びて育った果実は、味も香りもまったく違う。だからこそ、ギリギリのラインを読みながら攻め続けることが、“うちのマスカット”をつくる鍵になるんです」

“守るだけ”では、良い果実は生まれない。
“攻めすぎても”自然に試される。
その間を、毎年の経験と直感で探る作業が、まさに挑戦者の姿勢です。

栽培哲学は“人との関係性”にも表れる
マスカットの品質は、単に畑で決まるものではありません。
作業を支えるスタッフ、地域の栽培仲間、技術を伝える先輩農家、そして“食べてくれる人”――。
そのすべてとの関係性が、OGINO VINEYARDの栽培哲学の柱になっています。

荻野さんは、若手農家や就農希望者との関わりも大切にしています。

「マスカットづくりって、孤独なようで、実はすごく人との“信頼”で成り立ってるんですよ。剪定のときにアドバイスをもらったり、出荷のタイミングを相談したり。誰かの声が、自分の畑に活きる瞬間って、本当にありがたいです」

一房のぶどうの向こうに、たくさんの“関係性”が実っている。
その認識こそが、農業を続ける力になります。

地域とつながる栽培スタイル
OGINO VINEYARDでは、栽培という枠を超えて、地域と連動した活動を行っています。
ワイン用ぶどうの栽培や委託醸造、直売イベント、収穫体験ツアー、教育機関との連携……。それらはすべて、“ぶどう”を起点とした「地域経済」と「地域文化」へのアプローチでもあります。

「果樹栽培を“生産”で終わらせたくない。収穫から加工、販売、消費まで、“地元の手”で循環できたら、地域にとっての価値がもっと高まるはず。畑の外にも“農業の続き”があるんです」

この発想が、栽培の仕方や品種の選び方にもつながります。
単に高収益を狙うのではなく、地域の食文化やニーズ、観光との親和性までを考慮して選択する――それがOGINO VINEYARDの“地域に根ざす農業”の姿です。

哲学は伝播し、支援になる
挑戦者の姿勢や考え方は、他の生産者にとっての“希望”や“指針”となります。

たとえば、地域の若手農家が荻野さんの露地栽培を見て、「袋がけをやめてみよう」と思うかもしれない。
あるいは、消費者がOGINO VINEYARDの体験イベントに参加して「食べ物の背景に興味を持つ」かもしれない。

こうした連鎖は、やがて「支援の循環」を生みます。
生産者が挑戦し続けることで、地域に学びが生まれ、農業の裾野が広がっていく――まさに“栽培哲学の継承”といえるでしょう。

まとめ:哲学こそ、農業を続ける力
マスカット栽培とは、自然と向き合い、土地を読み、人とつながり、自ら問い続ける営みです。

そこには、効率や収益を超えた「信念」が宿っています。
それは一朝一夕に得られるものではなく、毎年の葛藤と小さな成功の積み重ねの中から育まれていくもの。

OGINO VINEYARDの姿勢は、すべての挑戦する生産者に向けた“エール”でもあります。
土地に根ざし、未来を耕す“栽培哲学”――それこそが、今求められている持続可能な農業のカタチなのではないでしょうか。